居留地と華僑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:28 UTC 版)
横浜、神戸、長崎では居留地の中(神戸は隣接地)に中華街が形成され、日本三大中華街(横浜中華街、神戸の南京町、長崎新地中華街)に発展した。これは、当初来日する外国商人は中国の開港場から来る者が多く、日本は漢字が通用するので中国人買弁が通訳として同行してきたためである。その後日本と中国各地の開港場に定期船航路が開けると、中国人商人(華僑)が独自に進出してきた。 中国人もオランダ人同様、長崎唐人屋敷で長年日本貿易を行ってきた歴史がある。神戸に進出した華僑は富裕な貿易商が多く、彼らは北野町とその西に居を構えた。これが神戸の関帝廟が例外的に中華街から離れた山手の住宅地に存在する理由である。 大阪の川口居留地周辺には、居留地廃止後に華僑が進出したが、現在は数世帯の子孫を残すのみとなっている。 横浜に進出した華僑は、その大半が飲食業を営んだために、中華街の面積が大きくなった。
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