少年Aの母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 04:07 UTC 版)
「神戸連続児童殺傷事件」の記事における「少年Aの母」の解説
1999年4月、少年Aの母による著書、『「少年A」この子を生んで……』が文藝春秋から出版される。母の手記と育児日誌、父の日記で構成された内容であった。夫婦が1997年6月28日の少年の逮捕から初めて面会したのは9月18日だった。「誰が何と言おうと、Aはお父さんとお母さんの子供やから、家族5人で頑張って行こうな」と、父が声をかけたそのとき、Aは2人に向かい「帰れ、ブタ野郎」と怒鳴り、すごい形相で2人を睨んだ。15分ほどの面会時間の間、最後まで「帰れっ」とAは怒鳴り続けた。被害者の小学生が行方不明になった際には、両親ともに捜索に参加していた。著書の中では母は、息子には、生きる資格などとうていありません。もし、逆に私の子供たちがあのような行為で傷つけられ、命を奪われたら、私はその犯人を殺してやりたい。償われるより、死んでくれた方がマシ、と思うはずです。ささやかで不甲斐ないお詫びをされるよりかは、いっそAや私たちが死んだ方が、せいせいされることでしょう。きっと被害者のご家族は、私たちが存在していること自体、嫌悪されているのではないでしょうか。と記している。 『「少年A」この子を生んで……』という本のタイトルは、母がつけたものである。両親の手記であるにもかかわらず、この題名にしてほしいと編集者に要望した。編集者は一字一句も直さず、そのまま採用した。
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