小野信爾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/04 14:47 UTC 版)
人物情報 | |
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生誕 |
1930年??月??日![]() |
出身校 | 京都大学 |
子供 | 小野啓子 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(中国近代史) |
研究機関 | 花園大学 |
小野 信爾(おの しんじ、1930年[1]10月23日[2] - )は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授。専攻は中国近代史。
経歴
1930年、大分県竹田市で生まれた。生家は豊後岡藩主中川家の菩提寺として知られる寺院・碧雲寺。山門には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して略奪してきたという「碧雲寺」の扁額が掲げられていた。父親は旧制中学の国語教師であった。
大分県立竹田高等学校を経て、1949年に京都大学文学部入学。1951年2月22日、下鴨警察署近くで「アメリカの朝鮮戦争に協力するな」という趣旨のビラを撒いたことで、GHQの占領政策違反に問われて軍事裁判を受け、重労働3年・罰金1000ドルの判決を受けた。文学部の同級生、教授らの減刑嘆願署名などによって刑期は2年に減刑された。のち講和条約発効によって占領法規が失効したため釈放となり、復学。1953年から京都での日中友好・学術交流の運動に関わった。1954年、京都大学文学部史学科卒業。1960年、京都大学大学院文学研究科東洋史専攻博士課程を満期退学。
1966年、花園大学講師に就いた。後に、助教授、教授に昇格。1989年4月より文学部長、1994年4月より副学長をつとめた。2001年に花園大学を定年退職し、名誉教授となった。
家族・親族
- 妻:小野和子は女性史研究者。京都大学人文科学研究所教授。京都橘大学名誉教授。
- 娘:小野啓子は沖縄大学法経学部教授。
著作
- 著書
- 共著
- 「十九世紀中国の仏教運動:植民地主義への抵抗」小野訳
- 翻訳・共訳書
- 『抗日遊撃戦争論』毛沢東著、藤田敬一・吉田富夫共訳、中公文庫 2014
- 『中国近代史 1840-1924』胡縄著、狭間直樹・藤田敬一共訳、平凡社 1974
- 『中国文明選 15 革命論集』吉田富夫・狭間直樹共著、朝日新聞社 197
出典
- 『五四運動在日本』著者紹介
脚注
- ^ 小野, 信爾, 1930- 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス
- ^ 『著作権台帳』
関連項目
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