小田急での淘汰・売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 15:06 UTC 版)
「小田急1800形電車」の記事における「小田急での淘汰・売却」の解説
江ノ島線の急行運用に就いた1800形 営業運行最終日は多摩線で運用された この頃、小田急では分割併合の操作を運転台から行なえるように、1975年までに通勤車両の全編成に対して自動解結装置の設置を行なったが、最初に使用開始したのは1800形で、1974年3月から使用を開始した。これは1800形の前面がフラットで、解結作業がやりにくかったためである。 その後、1800形は4両編成が5編成に組成されて運用されていたが、低加速車両であることから淘汰されることになり、廃車後は秩父鉄道に譲渡されることになった。1979年3月26日のダイヤ改正で1運用減少して4両が廃車となったのを皮切りに、同年7月16日のダイヤ改正ではさらに2運用が減少し8両が廃車となった。翌1980年7月14日のダイヤ改正ではさらに1運用減少して4両が廃車となり、1800形の運用は江ノ島線の1運用のみが残された。この時点での残留車輌は、デハ1809-クハ1859-デハ1806-クハ1856と、予備車のデハ1811-クハ1861のみとなった。その最後の1運用も1981年7月13日のダイヤ改正で消滅することとなり、ダイヤ改正前日の1981年7月12日に多摩線にて「さよなら運転」を実施。ヘッドマークを取り付け、半日ほど新百合ヶ丘-小田急多摩センター間を往復する運用に入ったのを最後に、1800形は全廃となった。
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