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小泉苳三

読み方こいずみ とうぞう

歌人神奈川県生。本名造。立命館関西学院大学等の国文学教授をつとめ、近代短歌研究をすすめる。歌人として「水甕」をへて歌誌「ポトナム」を創刊主宰平明な歌風知られる歌集夕潮』『くさぶし』『近代短歌史-明治篇-』等がある。昭和32年(1957)歿、63才。

小泉苳三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/31 07:45 UTC 版)

小泉苳三

小泉苳三(こいずみ・とうぞう、1894年4月4日 - 1956年11月27日)は大正昭和日本歌人国文学者文学博士。本名は小泉藤造。別号は小泉藤三。

生涯

神奈川県横浜市に生まれる。1917年(大正6年)に東洋大学国文学科を卒業。苦学し、23歳で中等学校国語国文科教員無試験検定合格、33歳で高等学校国語科教員検定に合格する。いずれも、当時はかなりの難関試験であった。

立命館大学関西学院大学、一時は国立北京師範大学教授をも兼任する。専攻は国語国文学(近代短歌史)[1]。古典から近代まで研究対象は多岐にわたり、『明治大正短歌資料大成』は貴重な資料として評価が高い。

和歌は尾上柴舟に師事し、歌誌『車前草』をへて『水甕』の同人となる。一時は『水甕』の編輯にも関わる。京城にいた時代に『ポトナム』誌を創刊し、『水甕』の同人を辞す。「現実的新抒情主義短歌」を提唱。雑誌の統制期に入ると『ポトナム』を『アララギ』に併合させて休刊している[1]。弟子に和田周三など。白川静も若い頃に小泉の講義に影響を受け[2]、後年には『明治大正短歌史研究』の手伝いをした[3]

満州事変後に陸軍省嘱託として北支中支に従軍し、板垣征四郎が序文を寄せた歌集『山西前線』を公刊していたために、敗戦後は戦争協力者として公職追放の憂き目に遭う[1]1952年(昭和27年)9月に追放解除されるが、長男の戦死のショックもあり著作活動を行うエネルギーを失ったまま死去した。

著書

文学史・評論

  • 『維新志士勤王詩歌評釈』(1928年)
  • 『漢文法と漢文解釈法』(1926年)
  • 『根岸短歌会の位相』(1934年)
  • 『明治大正歌書年表』(1935年)
  • 『明治大正短歌資料大成』(1940-1942年、全3巻)
  • 『日本語文の性格』(1944年)
  • 『歌人子規とその周囲』(1947年)
  • 『これからの短歌の味ひ方作り方』(1947年)
  • 『近代短歌史・明治篇』(1955年)

歌集

  • 『夕潮』
  • 『くさふぢ』
  • 『山西前線』
  • 『くさふぢ以後』(1960年)

脚注

  1. ^ a b c 岡山巖・編 『現代短歌全集 第六巻』創元文庫、1952年、72p頁。 
  2. ^ 1999/12/06 日本経済新聞 朝刊 立命館大学名誉教授白川静氏 (6)立命館入学——教員めざし夜間部に
  3. ^ 蘆北先生遺事 VIII”. www.ritsumei.ac.jp. 2022年5月19日閲覧。


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