小泉氏 (安芸国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小泉氏 (安芸国)の意味・解説 

小泉氏 (安芸国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:32 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

小泉氏(こいずみし、こいずみうじ)は、日本氏族のひとつ。鎌倉幕府の功臣・土肥実平の後裔(こうえい)[1]安芸国上野(こうずけ)城を本拠地とした小早川氏の庶流一族である。

出自

桓武平氏平良文の流れをくむ相模国土肥郷を発祥とする土肥氏の一族で、土肥実平の子・遠平安芸国沼田荘(広島県三原市)地頭職に補任され、養子・景平がこれを継ぎ小早川氏を称した。その後裔、沼田小早川氏・小早川宣平の五男・氏平が小泉村に分知され本拠とし、地名を取って小泉氏を称したことに始まる[1]

南北朝時代

南北朝時代康永元年・興国3年(1342年)、北朝勢として南朝方の伊予国世田山城攻略戦に参戦。これに乗じて生口氏など他の小早川氏庶家と共に、瀬戸内海弓削島因島生口島などに進出。島の権益を狙い、乱入・年貢の横領などを繰り返した。領主東寺から訴えられるなどするが、康暦元年には第2代・小泉宗平が伊予国尾智大嶋の地頭職を得ている。その子・興平の頃になると小早川水軍の主力として武装商船団で朝鮮との貿易に活躍し小早川氏の勢力拡大に貢献した。

戦国時代

小早川隆景の時代にも小泉小五郎小泉与一郎などの名が見え、 天正年間の座配書立にも常に上座最上位から四番以内に小泉殿の名が記されていることから、小早川家臣団の中で重きをなしたものと考えられる。

略系図

土肥実平
  ┃
 遠平
  ┠────┐
 維平  小早川景平(実父:平賀義信)
       ┃
      茂平 
       ┃
      雅平
       ┃
      朝平
       ┃
      宣平
       ┏━━┻━┓     
 小早川貞平  小泉氏平  
                 ┃
                 宗平      
                 ┃                            
                 興平

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 太田 1934, p. 2259.

参考文献

関連史料

  • 『大日本古文書 家わけ第十一 小早川家文書』 東京大学史料編纂所

関連項目



このページでは「ウィキペディア」から小泉氏 (安芸国)を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から小泉氏 (安芸国)を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から小泉氏 (安芸国) を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小泉氏 (安芸国)」の関連用語

小泉氏 (安芸国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小泉氏 (安芸国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小泉氏 (安芸国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS