小池の成立から町村制施行まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:58 UTC 版)
「桜島小池町」の記事における「小池の成立から町村制施行まで」の解説
小池という地名は江戸時代より見え、大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちであった。村高は「旧高旧領取調帳」では203石余であった。寛文4年(1664年)の「郡村高辻帳」には記載がなく、測量家である伊能忠敬は文政7年(1824年)には小池は横山村(現在の桜島横山町)のうちであったと記録している。「三国名勝図会」にも「小池は横山村の内」と記されている。 安永9年(1780年)に発生した桜島の安永大噴火では噴火が始まると同時に海底噴火が発生し、約6m程度の津波が発生した。天明元年(1781年)に発生した噴火においても大きな津波が10回ほど海岸を襲い大きな被害を被った。 嘉永3年(1850年)7月2日に鹿児島湾において薩摩藩とグレートブリテン及びアイルランド連合王国(イギリス)との間で勃発した薩英戦争の際にはイギリス艦隊が小池村・横山村の沖に停泊し、郷士らは戦闘配備についた。
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