小樽時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 20:33 UTC 版)
大学二年の時父が死んだので、寺を継がなければならなくなったが、勉強がしたくて大学院に進んだ。また寺で結婚式を挙げた。いつまでも実家の世話になるわけにいかず北海道小樽中学の教師となった。小樽にも寺はあったが、信仰のためというより仏事行事のためだけの寺であったので満たされず、研究にもならなかったので、札幌の北海道大学総長佐藤昌介や、ホームズ宣教師をよく訪問してキリスト教について学んだ。 その頃全国的に伝道をしていた当時救世軍に所属していた金森通倫が小樽に来て伝道集会を行った。出席した凌雲は「神、罪、救い」についての金森の熱烈な話に強く打たれたが、一緒に祈った際に金森が言った言葉に反発を感じて葛藤する。しかし祈るようにと言われた言葉が心に残り、神に祈り始める。一年ほどで小樽中学の解雇宣告を受け落胆しかけたが、下宿に帰ると母校の富山中学から教師に来てほしいと依頼状が届いていた。小樽時代は、新婚の妻を老母の世話のために富山に残しての単身赴任だったので、郷里に戻れることは願わしいことだった。
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