寿からメタ新世界まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 09:28 UTC 版)
江戸時代に伊藤看寿は611手詰の「寿」を発表した。その200年後に奥薗幸雄は873手詰の「新扇詰」を発表して最長手数の記録を塗り替えた。この2作品は、いずれも「龍追い」と呼ばれる手順をベースに「持駒変換」「と金はがし」という手法を加えていた。 1974年に上田吉一は、上記の作品で使用された持駒変換に着目しこの趣向をメインに用いた作品「積分」を発表する。この作品が契機となり、何人かの詰将棋作家が「持駒変換×と金はがし」を元にした長手数の作品の創作に着手する。 1981年1月に山本は「メガロポリス」(515手詰)を発表する。2月には添川公司が「呪われた夜」(393手詰)を、3月には森長宏明が「新世界」(613手詰)をそれぞれ発表し、同じ趣向の超長編作品が同時期に発表されるという珍しい事態となった。 これらの作品を土台に、1982年に「メタ新世界」は発表された。作者自身「メガロポリス」を発表しているが、持駒変換の手順などは「新世界」に近い。このことは「メタ新世界」というタイトルからもうかがえる。 事前に「新世界」の作者である森長に連絡が取られていたわけではなく、「メタ新世界」の発表を受けた森長はショックで一時詰棋界を引退した。詰棋専門誌上に互いが私見を掲載しあうなど、当時は相当な騒動であった。
※この「寿からメタ新世界まで」の解説は、「メタ新世界」の解説の一部です。
「寿からメタ新世界まで」を含む「メタ新世界」の記事については、「メタ新世界」の概要を参照ください。
- 寿からメタ新世界までのページへのリンク