対馬のうつぼ舟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:57 UTC 版)
対馬にもうつぼ舟やそれに類似する伝承が多く存在する。例えば以下の通りである。 対馬市の久原の伝承では、浜に流れ着いた朝鮮王族の姫から財宝を奪って殺し、その祟りで佐奈豊の村が滅んだというものがある。 久原から程近い女連の佐奈豊には、朝鮮出兵時に某という武将によって対馬に連れて来られた(あるいは不義をして舟で流された)宣祖の娘(李昖王姫)のものとされる墓がある。 上対馬町の三宇田には、「はなみごぜ(花宮御前)」という高貴な女性が財物と共に流れ着いたが、三宇田村の住人に殺害され財物を奪われ、祟りを恐れた住人は花宮御前を祀ったものの、祟りのせいで住人は絶え村は廃村となってしまったという伝承がある。ただし、花宮御前は黒田藩の女性であり、キリシタンとなったため、黒田藩を追い出され三宇田に至ったという伝説も存在する。 豆酘には高皇産霊尊とされる霊石(高雄むすふ)がうつぼ舟に乗って流れ着いたので、神として祀られた(現在も多久頭魂神社内に高御魂神社がある)。 天道法師の母は一般的に内院の照日某の娘とされるが、都にて不義をして懐妊し、対馬に流され着いた女官とする伝承も存在する。 豊玉町貝口には、高貴な姫とその侍女達や宝物が流れ着いたが、住人が姫達を殺害して宝物を奪ったという伝承がある。
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