家族・余生
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ラウは退任後もさまざまな栄誉職についていたが、それは教育や貧困救済、文化そして教会に関するものが多かった。2000年には自身の名を冠した財団を創設している。ドイツ・イスラエル協会会員、ドイツ・ライオンズクラブ名誉会員。 ラウは1982年8月9日にグスタフ・ハイネマン元連邦大統領の孫にあたるクリスティナ・デリウスと結婚し、一男二女をもうけた。結婚式はロンドンと北海沿岸の保養地シュピーケロークの教会で行った。ラウ一家はこの島に別荘を所有しており、休暇には家族揃ってここを訪れ保養していた。連邦大統領退任後も真っ先にここに向かった。 ラウは1995年から腹部大動脈瘤を患っていることを自覚していたが、職務に差し障りがあることをおそれ長らく手術をうけることを拒否していた。2000年7月に初めてエッセン大学でその手術を受けた。2004年8月には心臓の人工弁置換手術を受けたが、二ヶ月後には大動脈瘤の腹腔内出血のため再手術を受ける。ラウが最後に公式の場に登場したのは、2005年5月にゾーリンゲンで行われたドイツ・トルコ友好賞の授賞式、同年10月のドレスデンにおける聖母教会の再建落成式になった。翌2006年1月に大統領府で行われた彼の75歳誕生日を祝う式典の際は、既に出席できる健康状態ではなくなっており、その9日後の1月27日午前8時30分頃、ラウは家族が見守る中息を引き取った。2月6日、ベルリン大聖堂で国葬が行われ、同日近親者のみで埋葬が行われた。
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