家族の脱北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 20:42 UTC 版)
イは新生活に慣れ始めた頃、自身が家族宛に送金を行ったことが北朝鮮当局に突き止められたことと「ひと気の少ない田舎に連行されそうだ」という知らせが届いた。イは家族の脱出を手伝うために、吉林省長白へ向かった。彼女はこの時、中国語を話すことも理解することもできなかった。 家族は2000マイルにも上る移動を中国で行った。その間、何度も中国当局に捕まりそうになったが、イは当局に対し「家族は耳が不自由だ」と伝え、なんとか逃れた。そしてラオス国境に到着した時、ブローカーに賄賂を支払いラオスに入国した。そして彼女以外の家族はヴィエンチャンにある韓国大使館に向かった。イはその後、中国の空港から韓国に戻る予定だったが、空港で家族がラオスで拘束されたことを知った。 イはラオス・ルアンナムター郡へ行き、賄賂と罰金を支払った。そして1ヶ月後、当局から解放され、家族を連れてヴィエンチャンに向かった。そして韓国大使館まであと僅かのところで、家族が再び拘束された。イは入国管理局と現地警察を行き来し、開放をなんとかして要請した。しかし、イはすでに所持金の全てを、賄賂や罰金に支払い切ってしまっていた。 ある日、幸運なことに英語を話す男性と出会った(のちにオーストラリアの有名な自伝小説家であることが判明)。男性がイに話しかけるとすぐ、ATMで必要な金額を下ろし彼女に渡した。男性はイに「あなたを助けているわけではない。北朝鮮の人々を助けているんだ」と伝えたという。そして家族は解放されると、韓国にともに移動した。
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