室内楽演奏
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「セオドア・アイスフェルト」の記事における「室内楽演奏」の解説
オーケストラの指揮の他にも、アイスフェルトはヴィオラ奏者として室内楽の演奏を行っており、アメリカにおける室内楽演奏のパイオニアと言われた。 1849年から1850年にかけて、ヘルマン・サロニ(英語版)が主催する "Saroni’s Musical Times" で行った一連の室内楽コンサートが成功したことを受けて、アイスフェルトは1851年から1859年にかけて自身の室内楽コンサートシリーズを実施した。アイスフェルト自身はヴィオラ奏者を務め、ヴァイオリン奏者のヨーゼフ・ノル、同じくヴァイオリン奏者のチャールズ・レイエス、チェロ奏者のL. アイヒホルンと弦楽四重奏団を結成し(1855年にはチェロ奏者がフレデリック・バーグナーに交代した)、曲目によってはピアニストのオットー・ドレーゼル(英語版)やギュスターヴ・サッター(英語版)を加えた。なお、1851年2月18日にホープ・チャペルで行われた第1回演奏会のプログラムは以下のとおりである。 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲『弦楽四重奏曲第78番「日の出」』フェリックス・メンデルスゾーン作曲の歌曲数曲フェリックス・メンデルスゾーン作曲『ピアノ三重奏曲第1番』フランツ・シューベルト作曲の歌曲ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『弦楽四重奏曲第1番』 アイスフェルトの室内楽コンサートは上流階級のアマチュア音楽家たちから支持された。コンサートではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、シュポアなどの曲を取り上げたが、「古典の作品が多すぎる」と言われることもあった。ただし、ニューヨークでは室内楽曲が演奏されることは少なかったぶん、これらの曲目はニューヨークの聴衆たちにとっては新鮮なものであった。なお、アイスフェルトはヴィオラの他にも、ヴァイオリンやピアノの演奏にも堪能であったという。
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