定山渓鉄道での先行例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 09:47 UTC 版)
一方、国鉄が研究開発に着手する前に、電車と気動車の併結運転を行っていたのが、定山渓鉄道である。札幌市近郊の鉄道路線であった定山渓鉄道は、創業以来札幌駅への乗り入れを悲願としていたが、北海道鉄道への乗り入れによる一駅手前の苗穂駅までに留まっていた。1957年(昭和32年)に当時非電化であった札幌駅乗り入れのために導入したのがキハ7000形である。電車併結回路を持ち、自社線内では電車の付随車として牽引され、国鉄線内では単独または国鉄気動車との併結運転によって運転された。電車との併結時もエンジンはアイドリングさせたままで、電源、圧縮空気、暖房用熱源を自車で賄っていた。1958年(昭和33年)には、改良型としてキハ7500形が増備された。 定山渓鉄道は、1970年(昭和45年)に路線廃止となったが、電車や電気機関車の一部が本州の私鉄に譲渡されたのに対し、これらの気動車は車齢が浅いにも関わらず、定山渓鉄道の基本仕様である右側運転台や電車併結回路といった特殊装備が嫌われてか、他社へ譲渡されることなく解体された。
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