官僚化の促進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 00:50 UTC 版)
真平王代の581年に設置された位和府(人事)には令(長官)が配置されていなかったが、神文王の682年4月になってようやく令2名を配置し、律令体制の維持に重要な人事評価が機能することとなった。また、例作府(営繕)の長官1名、次官2名を配置した。こうして執事部を中心とする13の上級官庁による整然とした官僚機構を成立させ、また、こうした官僚を育成する機関として682年6月には礼部の配下に国学を創立した。689年には官僚に対する禄邑制をやめて租米による俸禄制を始め、官職に取り立てられた中下級貴族層の官僚化を一層進め、先の中央貴族の粛清とあいまって王権の伸長を果たした。
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