宗教上の業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:20 UTC 版)
「ユスティニアヌス1世」の記事における「宗教上の業績」の解説
ユスティニアヌス1世は帝国の正統派は宗教分派、特にシリアやエジプトに多くの信者を持つ単性論に脅かされていると考えていた。単性論の教義は451年のカルケドン公会議で異端として非難されており、皇帝ゼノンとアナスタシウス1世の単性論に対する寛容政策はローマ司教との緊張状態の原因となっていた。ユスティニアヌスは態度を覆し、カルケドン教義を確認して公に単性論を非難した。ユスティニアヌスはこの政策を続けつつも、臣民たちに教義上の妥協を受け入れさせて宗教的統一を押し付けようと試みたが、この政策は誰も満足させられず失敗に終わっている。皇后テオドラは単性論に同情的であり、初期の親単性論派による宮廷陰謀の源泉になったとされている。治世期間中に神学に心から関心を寄せるユスティニアヌスは幾つかの神学論文を著している。
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