宇多源氏 佐々木支流 乾氏
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土佐の佐々木支流 乾氏は、佐々木経方の六男行範の支流という。古くは室町幕府に仕え、京都に住した。その子孫で阿波国の三好家に仕え、勝瑞合戦の時に討死した乾兵庫を祖とする。兵庫の子、乾玄蕃は、阿波国の黒土川の合戦で討死し、玄蕃の子を乾次右衛門という。次右衛門に二子あって、長男を乾長右衛門と言い、二男を乾新右衛門正之という。乾正之(新右衛門)は、山内忠豊公の御代、1661年(万治4年)4月13日に初めて土佐藩に召抱えられ、1714年(正徳4年)6月27日死歿した。この正之を初代として明治まで連綿と続く家である。家紋は「八重桔梗(やえききょう)」、「丸に鱗(まるにうろこ)」、「丸に算木(まるにさんぎ)」、「黒餅に算木(くろもちにさんぎ)」である。同じ土佐藩士であるが、江戸時代を通して上記2つの乾家とは全く縁組などは無く、別家である。
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