孝棚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 02:08 UTC 版)
台北の孝棚は日本統治時代には軍営地となり、戦後は1964年に台北市議会(中国語版)庁舎が建てられ、議会が1990年に信義区に移転後は台北市政府警察局(中国語版)中正第一分局(中国語版)が2007年まで使用した。警察が退去後は商業地として市が再開発を試み、洪以南が初代幹部を務めた台湾瀛社詩学会(中国語版)会員や、騰雲の子孫で洪啓宗(医師)、洪致文(学者、作家)などは市議会庁舎保存を訴えていた。しかし2016年、市長柯文哲の政策により撤去された。洪致文は台北機廠の全域保存を提唱していた市長当選前の柯を支持していたが、当選後に市街の歴史的価値のある建造物を次々と壊して開発に邁進する柯市政を批判するようになった。 警察署時代(2006年) 旧台北市議会庁舎(2007年) 旧市議会庁舎撤去後(2016年)
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