姫宮の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 04:26 UTC 版)
休養林を抜けると赤沢は北流し、「麝香沢」という沢が合流する。麝香沢付近では、麝香沢や赤沢両岸が準平原の緩斜面になっていて、ヒノキの林が広がっている。ここは古来より優れた木曽ヒノキの産地とされてきて、豊臣氏や徳川氏が御用林としていたほか、伊勢神宮の神宮備林にもなっており、1941(昭和16)年の式年遷宮では御杣始祭の地となった。 また、このあたりには源平合戦期に遡る「姫宮」に関する伝承がある。後白河法皇の皇子である以仁王(高倉宮)は平家追討の令旨を出したが、逆に平氏に追われることになって木曽谷へ落ちのびた。以仁王の娘(姫宮)は、父が上松に潜んでいるとの噂を聞きつけ、これを探して木曽谷へ来るが、平家方に見つかってしまう。姫宮は村人に助けを求めたが、平家を恐れた村人に追い出されてしまい、小川の上流へと逃げてゆく。しかし、姫宮が携えていた麝香袋の匂いによって追手に見つかってしまう。姫宮は故郷の風景を思い浮かべて田植え唄を歌ったのち、淵へ身を投げて自害する。その後、村人は姫宮を弔うために高倉八幡社(姫宮神社)を建立した。 一方、ヒノキの芳香が麝香に似ているとして「麝香沢」と呼ばれるようになったとの説もある。(一帯は環境省選定のかおり風景100選「赤沢自然休養林の檜」にも選ばれている。)
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