奥州合戦と最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 02:41 UTC 版)
文治5年(1189年)8月、奥州合戦で大将軍となった国衡は、伊達郡阿津賀志山(現・厚樫山)で防戦(阿津賀志山の戦い)。寡兵ながら三日間にわたって激戦を繰り広げ善戦するも敗れ、出羽国へ逃れようとしたが、幕府御家人の和田義盛の矢で射られて深田に倒れ、畠山重忠の家臣・大串次郎に討ち取られた。没年齢は正確には不明だが、すぐ下の弟(異母弟)である泰衡の享年が25歳もしくは35歳とされているため、それ以上の年齢に達していたとされる。また、泰衡の首のミイラの状態から、20歳代-30歳代、23歳から30歳以上もしくは25歳以上と見積もることもできる。
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