奄美群島選挙区廃止後、そして終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 00:50 UTC 版)
「保徳戦争」の記事における「奄美群島選挙区廃止後、そして終結」の解説
1992年(平成4年)12月の公職選挙法改正で奄美群島区は消滅し、鹿児島県第1区に編入されることになり、1993年の第40回衆議院議員総選挙ではじめて実施された。このときは、実質定数1減でありながら、奄美群島で保岡・徳田の得票が他候補を圧倒していたことと、当該地域の投票率が極めて高い状態が続いていたこともあり、保岡・徳田の両者が当選を果たした。1994年(平成6年)再び公職選挙法改正で小選挙区比例代表並立制が導入された際に、保岡は鹿児島県第1区、徳田は奄美群島が選挙区である鹿児島県第2区から出馬することとなったため、両者の直接対決はなくなった。 その後、2005年(平成17年)に虎雄が病気静養で政界引退し、次男の徳田毅が後を継いだ。そして、2007年(平成19年)毅が自民党に入党。さらには、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙の応援演説でかつての敵だった、保岡、園田、そして徳田側の幹部が共に手を取り合い、終結を宣言している。 なお、2013年に前年の第46回衆議院議員総選挙での徳田陣営の選挙違反が明るみにでて、徳洲会幹部10人が有罪判決を受け、徳田毅は起訴されなかったものの、議員辞職ののち連座制が適用されて鹿児島県第2区からの立候補が5年間禁止されている。
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