失脚と亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 23:24 UTC 版)
1966年11月24日、コン・レーは中立派内の権力闘争で失脚し、フランスに亡命した。亡命後も中立主義に基づく政治活動を継続したが、政治的影響力は無かった。1975年の人民共和国の成立後、コン・レーは「中立ラオス人民の抵抗革命運動」 (Le Mouvement Révolutionnaire de la Résistance du Peuple Lao Neutralist) を設立し、1980年代初頭には中国南部において反政府ゲリラの訓練に当たった。しかし1983年末にはフランスに戻り、後にアメリカへと移住した。 晩年はフランスで過ごし、2014年1月17日にパリの病院で死去した。
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