太尉に昇進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 17:30 UTC 版)
10月、封奕は群臣と共に慕容儁の下へ赴いて帝位に即くよう勧めると、慕容儁はこれに同意した。11月、慕容儁が前燕の歴史で始めて百官の設置を行い、封奕は太尉に任じられ、中書監を兼務した。その後、慕容儁は日を選んで帝位に即いた。これにより、前燕は東晋との従属関係を解消して名実ともに独立国となった。 358年12月、当時前燕では頻繁に兵の徴発が行われており、官吏は各個人がそれぞれ使者を派遣しては徴発活動を行っていた。その為、郡県は大いに困苦する事となり、また道路は大いに混雑した。封奕はこれを憂えて慕容儁へ「これ以降、軍期が厳急でもないのに、むやみに遣使させてはなりません。また、そうでなくとも賦役や徴発は全て州郡の責任で行うべきであり、百官が督している外から来た者は、一切を帰還させるべきです」と諫めると、慕容儁はこれに従った。
※この「太尉に昇進」の解説は、「封奕」の解説の一部です。
「太尉に昇進」を含む「封奕」の記事については、「封奕」の概要を参照ください。
- 太尉に昇進のページへのリンク