大陸横断鉄道とストックヤード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:29 UTC 版)
「オマハ (ネブラスカ州)」の記事における「大陸横断鉄道とストックヤード」の解説
オマハはその初期から、陸路、およびミズーリ川を遡る水路の両方において、西部へと向かう交通の要衝となり、仲買・卸売業地区もできて、経済が発展した。1862年、オマハから西へ向かうユニオン・パシフィック鉄道の建設が連邦議会に認可され、翌1863年に着工した。着工から6年後の1869年に、ユニオン・パシフィック鉄道はユタ準州プロモントリーサミットで、カリフォルニア州サクラメントから東へと向けて建設が進められていたセントラル・パシフィック鉄道と接続し、全米初の大陸横断鉄道として開通した。 オマハ市史において、大陸横断鉄道と並んで重要なのが、1883年にサウスオマハ地区に完成したユニオン・ストックヤードである。ユニオン・ストックヤードの完成から20年の間に、全米5大精肉業者のうちの4社がオマハに拠点を置いた。1950年代には、オマハの労働者人口の半分は精肉業、もしくは食肉加工業に従事していた。19世紀後期から20世紀初頭にかけてのオマハの地域経済成長は、精肉業、卸売業、および鉄道によってもたらされた。 市内の鉄道交通も発展していった。1867年に開業したオマハ馬車鉄道は、市内の至る所に乗客を運んだ。1884年にはオマハ・ケーブル・トラムウェイ会社が開業し、市内にケーブルカーを走らせた。1888年には、オマハ・アンド・カウンシルブラフス鉄道橋梁会社が、ミズーリ川を渡ってオマハ・カウンシルブラフス両市を結ぶダグラス・ストリート橋を架けた。
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