大鉄の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 03:16 UTC 版)
「大阪鉄道デイ1形電車」の記事における「大鉄の経緯」の解説
近畿日本鉄道(近鉄)の路線のうち、最も歴史が古いのは現在の道明寺線・南大阪線・長野線の柏原駅-富田林駅間で、1898年に河陽鉄道が開業させたものである。その後同社は河南鉄道に再編され、1902年には長野駅(現・河内長野駅)までの延伸を果たすが、それに先立つ1900年に高野鉄道(現・南海高野線)が道頓堀駅(現・汐見橋駅)-長野駅間の路線を開通させており、大阪との連絡には柏原駅での関西鉄道線(1907年に国有化されて関西本線となる)乗り換えを要した河南鉄道は競争上不利であった。 そこで河南鉄道は大阪への自力乗り入れを計画し、1919年に社名を大阪鉄道へ改める。そして同時に電化を進め、1923年に大阪天王寺駅(翌年、大阪阿部野橋駅と改称)への電化新線での乗り入れを実現し、同時に天王寺-河内長野間での電車運転を開始した。 この際、大鉄は現在に至るまで日本の鉄道の電化で主流になった直流1500V電化方式を日本で初めて採用。これに対応して製造されたのがデイ1形である。
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