大農場経営者への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/09 08:38 UTC 版)
「ジョージ・フレッチャー・モー」の記事における「大農場経営者への道」の解説
ところがモーは、その職務に就任する前にスワン川植民地の用地払い下げや農場開拓における諸問題に目を向けた。11月末頃までにモーは、彼自身は行った事は無いが7月にロバート・デールが探検し良い土地だと保証したエイボン谷 (Avon Valley) の開発所有を申し出、またウィリアム・ラムが爵位を受けるために必要だったアッパースワン Upper Swan) 開発を、補助金の半分を受け取ることを条件に引き受けもした。 1831年9月、ロバート・デールがギルフォード (Guildford) からアッパースワンまでの道路建設のため多くの人手を連れて向かった際、その地を見ようとモーも同行した。予定通りヨーク (York) に入ったモーとデールは、エイボン川 (Avon River) について多くの発見をした。例えば、エイボン川とスワン川は同じ水系であることを確認した。この探索でモーは、内陸地にある遥かに優れた牧草地の情報をたくさん得た。 1832年2月、モーは当初に希望していた司法の職を得て、民事法廷委員となった。俸給と肥沃な領地を手中に、モーは多くの使用人を雇い入れ農場経営の拡充を図った。こうして翌年には、彼の植民地は最も多くの羊を所有する大農場のひとつとなった。
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