大観音の光背
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 06:21 UTC 版)
大観音・小観音ともに絶対の秘仏であることは再三説明したとおりだが、大観音の銅製光背のみは一般公開されている。これは、寛文7年(1667年)の二月堂の火災の際に破損した銅製光背の残片を集めて板に貼り合わせたもので、身光部は高さ226.5センチメートル、頭光部は最大径72.3センチメートルである。身光部は舟形(または蓮弁形)で、界線で内・中・外の3区に区切り、外縁には火焔形を表す。表裏とも全面に鏨(たがね)による線刻で多くの仏菩薩像を表す。光背断片は板に貼り付けられていたため、裏面の図様は長年拓本でしか見ることができなかったが、保持板をアクリル板に取り替える修理が行われ、2016年に約100年ぶりに裏面が公開された。表面は上段中央に5体の如来像、その周囲に諸菩薩を表す。中段は中央に大きく千手観音立像を表し、その上と左右には52の格子状の区画内に1体ずつ表された如来坐像を表す。下段は神仙像などを表す。裏面は、上段に仏菩薩の群像、中段には大仏蓮弁にみられるような天界図、下段には須弥山図を表す。頭光部は欠失部が多く、図様の細部は定かでない。大仏蓮弁の線刻が肥痩のない均質な線で刻まれているのに対し、この光背の線刻は線に抑揚がみられることから、同じ奈良時代でも、大仏蓮弁よりは年代が下るとみられている。この光背は明治34年(1901年)に重要文化財(当時の国宝)に指定されている。
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