大葉が居住した稲子地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 20:09 UTC 版)
「大葉亀之進」の記事における「大葉が居住した稲子地区」の解説
大葉亀之進が生まれ育った苅田郡七ヶ宿町稲子地区は、仙台藩の藩境警備に由来し、かつては「足軽の里」として栄えた特殊な集落であった。稲子地区に移住を命じられた初代足軽の中に「大葉姓」の者がおり、これが大葉亀之進らの祖先だという。亀之進は地区の有力者の大葉安之進の曽孫として明治37年に生まれた。1878年に稲子地区は明治政府によって福島県に編入された。仙台藩主の直参を自負していた稲子の住人は猛反発し、内務省へ直訴を行うが、このときの直訴状を書いたのが大葉安之進だとされる。亀之進の名は、「万年でも長生きするように」と安之進が考えたものだった。 亀之進は安之進の膝の上に乗せられ、十手と捕り縄を持っての山の警護や、関所守り、白石川の水番などの稲子地区に伝わる伝承話を聞かされて育った。大葉安之進は1925年に89歳で死去する。父親の大葉与一郎は林業を営んだ。亀之進も成長してからは父親の仕事を継承して林業に就いた。亀之進は「テン打ちの名人」と言われ、狩猟も得意であった。 詳細は「稲子 (宮城県)」を参照
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