大網の草庵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 09:24 UTC 版)
大網の草庵は一説には現在の福島県石川郡古殿町にあったとされ、如信の孫の空如のときに願入寺となる。寺格化後、如信は願入寺第一世に位置づけられる。その後願入寺は移転を繰り返し、大網の旧地には「如信上人大網遺跡」の碑が残されている。延宝の頃に水戸藩の藩主、徳川光圀によって、現在地の茨城県東茨城郡大洗町磯浜町(旧・大洗町岩船)に移される。江戸末期には焼失するものの、昭和37年(1962年)に再建され、現在は岩船山大本山願入寺(原始真宗大網門跡)。 同寺には『二十四輩牒』のほか、光圀の遺品や多数の書状が残っている。 また、一説には大網の草庵は現在の福島県西白河郡泉崎村にあったとされる。この場所には佐藤継信・忠信兄弟を弔うために母が建てた「阿弥陀堂」があったが、当時の住職が如信に帰依して乗善房となり、同所は「大網奥之坊」として専修念仏の道場になったと伝えられる。如信の墓は正和4年(1315年)に上金沢からここに改葬されたとされる。寛永4年(1627年)、白河藩主・丹羽長重の命によって現在地である白河小峰城下大工町(現在の白河市大工町)に移転し、ほどなく常瑞寺を名乗るようになる。現在は平荘山善永院大網奥之坊常瑞寺(浄土真宗本願寺派)。大網の旧地には現在でも「大網本廟」が残り、如信の墓所が営まれ、また隣接して善鸞の墓とされる墓石がある。
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