大宅マスコミ塾
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戦前から接点があった林房雄は、大宅を「当代野次馬精神の親玉」と評した。 1957年「ノンフィクションクラブ」を結成し、一匹狼のノンフィクションライター達を集め、若手ジャーナリストを育成、著名な門下生メンバーに、青地晨、藤原弘達、蘆原英了、草柳大蔵、村上兵衛、丸山邦男、末永勝介、大隈秀夫らがいた。他の初期メンバーに杉森久英、永井道雄、小野田政、梶山季之、奥野健男らがいた。ノンフィクションクラブに、のちに参加したメンバーには、高木健夫、三鬼陽之助、扇谷正造、大森実、巖谷大四、村島健一、渡部雄吉、楠本憲吉、永六輔らがいた。また他のメンバーに、佐賀潜、藤島泰輔、夏堀正元らがいた。 1967年(昭和42年)1月に「大宅壮一東京マスコミ塾」(略称・大宅マスコミ塾)を開塾する。逝去で幕が閉じられるまで、8期480名の塾生を送り出した。この年東南アジアへ船で旅行した時、同行した青地晨の回想では、航海中に海が荒れ大宅は階段から転げ落ち腰骨を打ったが、それでも狭いカイコ棚のベッドで英和辞典を引き『バートン版 千夜一夜物語』(集英社、全12巻。普及版も刊)の新訳を続行していた。
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