大北牧場によるシャダイフライト購買
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 07:05 UTC 版)
「ノースフライト」の記事における「大北牧場によるシャダイフライト購買」の解説
本馬を生産した大北(たいほく)牧場は1935年創業の老舗であり、1965年の桜花賞に優勝したハツユキなどを生産していたが、2代目場主が交通事故で急死し、その息子の斎藤敏雄が18歳で3代目の場主となった。以後牧場は20年間低迷を続けたが、1989年に生産馬ライトカラーが優駿牝馬(オークス)を制し、彼の代で初めてクラシック競走の優勝を果たした。これに奮起した斎藤は翌1990年1月、新たな繁殖牝馬を求めて日本最大の牧場である社台グループ主催のセリ市に参加した。 目星を付けていた1頭の購買を決めたのち、予算に余裕があったためさらに受胎済みの牝馬を探したところ、厳寒にもかかわらず緊張のため発汗しながら震えている馬を発見した。これが本馬の母となるシャダイフライトであった。18歳と高齢で、左目は弱視であったが、社台グループが導入した新種牡馬トニービンの仔を宿していた。その姿から「ひと声で落とせる」と判断した斎藤は購買を決め、開始価格に10万円上乗せしたのみの410万円で落札に成功した。これはこのセリ市に上場された馬のなかで最も安い価格だった。注目度の低い馬であったが、社台グループ総帥の吉田善哉だけは「本当にあの馬を売っていいのか」と従業員に何度も確認し、セリ会場でも高所から身を乗り出して様子を見ていたという。
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