大北方戦争後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 16:34 UTC 版)
「カール12世 (スウェーデン王)」の記事における「大北方戦争後期」の解説
カール12世はデンマークへの氷上侵攻に失敗した後、その矛先をノルウェーに向けた。1716年には一旦はクリスチャンサンを陥れたが、スウェーデン海軍が敗退し、補給路を絶たれた為、撤退することとなった。スウェーデン海軍は疲弊していたものの、艦隊は全滅してはおらず、ストックホルム港などに反撃の為の戦力として残存していたが、カール12世死後のロシア海軍とのグレンガム島沖の海戦などによって海戦力が大幅に削がれる事となり、その事が戦争の完全終結へと向かわせて行く要因となった。すでに1714年のハンゲの海戦での敗北により、バルト海の制海権と覇権はロシアに移りつつあり、起死回生の為の反撃もカール12世の死によって完全に絶たれる事となる。1718年1月からオーランド諸島でロシアとの交渉が始まり、カール12世の側近のハインリヒ・フォン・ゲルツ男爵とロシア全権アンドレイ・オステルマンが講和内容を纏め、ロシア領となったバルト地方は放棄して他のドイツ領確保を狙い、ロシアの力を借りてハノーファー・デンマーク・ポーランド打倒を目論むゲルツの方針にそって交渉は進められたが、ロシアが話に乗ってこないこととスウェーデンの細かい要求もあって交渉は進展しなかった。 11月30日、ノルウェー攻略の要となるフレデリクスハルド要塞を攻囲中、カール12世は流れ弾に当たって落命した。
※この「大北方戦争後期」の解説は、「カール12世 (スウェーデン王)」の解説の一部です。
「大北方戦争後期」を含む「カール12世 (スウェーデン王)」の記事については、「カール12世 (スウェーデン王)」の概要を参照ください。
- 大北方戦争後期のページへのリンク