多賀城の創建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)
神亀元年、多賀城が創建された。天平宝字6年12月1日(762年12月20日)に恵美朝獦(藤原朝狩)が多賀城を修造した記念として作られた多賀城碑の碑文には、神亀元年に按察使兼鎮守将軍大野東人によって設置されたと記されている。多賀城跡の発掘調査成果に基づいて建造は養老年間(717年から724年)よりおこなわれていたとの推察もあり、神亀元年は完成年を示すものである可能性もある。いずれにしても養老4年の大崎平野の蝦夷反乱、神亀元年の海道の蝦夷反乱ときわめて深い関わりをもっていたことは間違いない。 蝦夷反乱というかたちで顕在化した律令国家の東北経営の破綻に対して新たな蝦夷支配体制を構築していこうとする政策基調の下に、多賀城の造営や同時期の大崎平野における城柵や官衙の整備、造営などの諸事情が強力に推進されることになった。神亀元年の蝦夷反乱が終息して多賀城の造営がほぼ成ったと考えられる同年の冬頃以降には、その後半世紀もの長い間にわたって国家と蝦夷との間で戦闘がおこなわれた形跡は一切確認されていない。
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