多賀城時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/12 13:15 UTC 版)
鎮守府相当の機関は、初め多賀城に置かれたと推測されている。 天平宝字3年(759年)には、将軍以下の俸料と付人の給付が、陸奥の国司と同じと決められた。この頃より、鎮守府将軍はほぼ4年ごとに任命された。この時期の将軍は按察使または陸奥守を兼任するのが通例で、中には3官を兼任する場合もあった。 征夷の際には、征夷大使(将軍)や征東大使(将軍)が任命され、征討軍が編成された。鎮守府は通常の守備と城柵の造営・維持など陸奥国内の軍政を主な任務としていたと言われる。
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