増田巡査の高串赴任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 10:08 UTC 版)
「増田神社 (唐津市)」の記事における「増田巡査の高串赴任」の解説
増田は佐賀県巡査を拝命後、交通手段のない山道を超えて4日後には高串へ到着する。増田は区長と相談の上で「コレラ感染を防ぐには、一刻も早く患者と健康な人との接触を断たなければならない」と対策を講じ、発症者の家には縄を張り巡らせて消毒の上で人の往来を禁じた。また、住民には生水を飲まない、生で魚介類を食べないなど厳しく指導して回った。中には薬を飲んでから亡くなった発症者もいたことから誤解して「毒薬なんか飲まない」と言う発症者もいたが、増田はその患者にも根気よく説得し続けた。また、感染を恐れて発症者の遺体運搬が拒まれていることを見かねて、増田は自身で遺体を消毒し、むしろに巻いて背負って傾斜が急な坂道を何度も登っては墓地に埋葬していった。 住民は不眠不休で献身的に働く増田に対して次第に胸を打つようになったが、疲労が祟って高串着任の3日後である23日にはついに自身も感染してしまう。容体は急速に悪化し、「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。高串のコレラは私が背負っていきますから御安心下さい。十分お世話せねばならぬ私が大変御厄介になりました。」と言い残して24日午後3時には死去する。その言葉通りに、猛威を振るっていたコレラは終息し、再び発症する村人はいなかった。
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