塩浜地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:44 UTC 版)
三重郡塩浜村は菜の花畑がたくさんある、のどかな自然がある美しい海浜地帯であった。1930年(昭和5年)の三重郡塩浜村の四日市市合併後に東洋紡績塩浜工場や四日市空襲の戦災を受けた旧大日本帝国海軍燃料廠(海軍工廠)が立地したことをきっかけに、工業地帯として開発されて塩浜地区は急速に工業化された。富洲原地区出身の平田佐矩四日市市長と、塩浜地区出身の田中覚三重県知事によって第1四日市コンビナートが誘致・建設されて、四日市ぜんそくによる健康被害が塩浜地区を中心とする四日市市の環境問題となり、平田佐矩の死後に、後継市長となった九鬼喜久男と塩浜地区民が対立して九鬼喜久男市長を中心とする保守政党(企業側)対日本社会党の前川辰男を中心とする(革新政党の公害被害者側)の政治対立構図が四日市市及び三重県で誕生した。
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