塩浜合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 23:19 UTC 版)
塩浜合戦は永禄元年に長野工藤家が北畠家との戦いを繰り返して工藤家が北畠具教の次男の長野次郎を養子とした。1559年の北伊勢軍記によると長野氏は関一党の抗争の1つとして浜田城を攻略して長野氏・雲林院・草生家の3家の兵士5000人で浜田城主3代目の田原元綱を阿漕浦から兵士を船に乗せて塩浜村方面から上陸しようとした。浜田城主3代目の田原元綱の嫡子重綱及び赤堀城主4代目赤堀景治から援軍の堀木常定が塩浜浦の松林で待ち伏せをして激しい戦闘となった。
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