堤三樹男とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 堤三樹男の意味・解説 

堤三樹男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 14:19 UTC 版)

堤 三樹男
生誕 1886年12月4日
日本 宮崎県
死没 (1975-01-12) 1975年1月12日(88歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

堤 三樹男(つつみ みきお、1886年明治19年)12月4日[1] - 1975年昭和50年)1月12日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

1886年(明治19年)に宮崎県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1936年(昭和11年)に歩兵第77連隊国境守備隊長に就任し[2]1937年(昭和12年)8月陸軍歩兵大佐に進級[2]。9月には留守第10師団司令部附[2]1938年(昭和13年)に歩兵第39連隊補充隊長を経て[2]1939年(昭和14年)に歩兵第63連隊長に就任した[2]

1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級し[2]独立混成第11旅団長に就任[1]日中戦争に出動し[1]揚子江右岸下流の警備に当たり、江南作戦、蘇北作戦、広徳作戦を連戦[1]1942年(昭和17年)に歩兵第55旅団長に転じ[1]1944年(昭和19年)3月に留守第51師団兵務部長[1]、4月に第81師団兵務部長[1]6月19日第31軍司令部附[3]6月26日参謀本部附を歴任[4]6月27日に陸軍中将に進級し[2]第68師団長に親補される[1]。終戦時は衡陽にあった[1]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 福川 2001, 479頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 280頁.
  3. ^ 第116号 昭和19年6月20日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120911900 
  4. ^ 第121号 昭和19年6月27日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120912400 
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  堤三樹男のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「堤三樹男」の関連用語

堤三樹男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



堤三樹男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの堤三樹男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS