地方政治家として
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1942年(昭和17年)更埴村議員に就任。1951年(昭和26年)埴生町町長に推され、持論である埴生町、屋代町、杭瀬下村の3町村合併を公約にして当選。1955年(昭和30年)4月には長野県議会議員となり、「更埴(更級郡・埴科郡)中部市制建設」実現に奔走した。 長野、上田両市が合併による拡大を続ける中、その中間に位置する更科郡・埴科郡地域が今後も発展を続けていくためには、中核となる市政の建設が欠かせないとの信念を持ち政治に取り組んだ。 さまざまな理由から積極的でなかった地区からも多数となる理解賛同者が得られ、1959年(昭和34年)に屋代町、埴生町、稲荷山町、八幡村の各町村が合併し更埴市が発足した。
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