地方伝道館の設立
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10月には山形県楯岡町(現在、村山市楯岡)に最初の地方伝道館を設立する。中田はカウマンと共に視察に行き町の郊外の山に登って祝福が注がれるように祈った。 1903年(明治36年)2月には、最上郡新庄町(現在、山形県新庄市)、谷地(現在、山形県河北町谷地)に伝道館を設立した。 1902年(明治35年)8月にアーネスト・キルボルン夫妻が中田の働きに加わり、自給伝道をモットーに活動をした。1903年5月には清水俊蔵が新庄の福音伝道館に転任する時は、カウマンと共に同行して新庄に行き、貸家を探し回った。仏僧らの迫害にもかかわらず大きな貸家を見つけることができた。 この教会で新庄中学校の学生の沓澤鉱治(清水鉱治)が回心した。
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