地方での状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 06:10 UTC 版)
中央のパリでジャコバン派がイニシアティヴをとった後も、地方では王党派やジロンド派の勢力が残っていた場所があった。革命政府はそれらの地域に対し、中央のパリから派遣議員を送り、反革命派の粛清を図った。これに対する反革命派の抵抗により、フランス全土は内戦状態に陥る。 内戦により、ヴァンデ、リヨン、トゥーロンで革命軍による虐殺が起きた。ヴァンデの反乱は1793年末までに、ほぼ鎮圧され、ロワール川を渡りブルターニュを目指した8万人の農民のうち、生き残ったのは僅か4、5千人であった。リヨンでは派遣議員のジョゼフ・フーシェ、ジャン=マリー・コロー・デルボワの指導のもとに教会の略奪が命じられ、叛徒の処刑が4ヶ月にわたり間断なく続けられ、犠牲者は2千人を越えた。トゥーロンでは、陥落後にポール・バラスとルイ=マリ・スタニスラ・フレロンの指揮下で1794年1月末までに千人以上の処刑が行なわれた。 詳細は「ヴァンデの反乱」、「リヨンの反乱」、および「トゥーロン攻囲戦」を参照
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