地所の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:35 UTC 版)
「スタッドリー王立公園」の記事における「地所の発展」の解説
ジョン・エズラビー(John Aislabie)が1693年にスタッドリーの地所を相続した。社会的にも政治的にも野心を抱いていた彼は、1695年にはイギリス議会のトーリー党員になり、1718年には大蔵卿に任命された。彼を悲劇が打ちのめしたのは1720年のことだった。彼は南海会社の主要なスポンサーの一人であり、その株は彼個人に伸長させられていた。その金融上の巨大な破綻(南海泡沫事件)のあと、彼は議会から追放され、終身公職追放に処せられた。 ヨークシャーに戻った彼は、1718年に造営を始めていた庭園を作り上げることに専念した。1742年に彼が没したあと、息子のウィリアムがファウンテンズの修道院とホールを買い上げて、庭園を拡張した。彼は父親の造園とは対象をなすような、見栄えのするロマンティックな様式で風景式庭園を拡張した。18世紀のものとしてはイングランドでも最重要級に属する水生植物園が造園されたのも彼らのときである。 ウィリアムの死後、地所は娘が引き継ぎ、そのあとは彼女の姪が相続した。大規模な作り直しを免れつつ、庭園と公園はエズラビー家の血を引くヴァイナー家(the Vyner family)に引き継がれた。
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