地下鉄乗り入れ計画の頓挫と五島慶太による買収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 06:56 UTC 版)
「湘南電気鉄道」の記事における「地下鉄乗り入れ計画の頓挫と五島慶太による買収」の解説
湘南電気鉄道と直通することを選択し、都心乗り入れを断念した京浜電気鉄道は、1936年に湘南電気鉄道と共に東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線浅草駅 - 新橋駅間を建設・運営)と合弁する協定を結び、翌1937年に京浜地下鉄道を設立。東京地下鉄道から新橋 - 品川の未成線を譲受し、湘南電気鉄道・京浜電気鉄道・京浜地下鉄道・東京地下鉄道の相互乗り入れによる浦賀 - 浅草の直通運転を計画した。集電装置はパンタグラフと集電靴のハイブリッド方式を予定していた。 しかしこの合弁に先立ち、東京地下鉄道は東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線新橋駅 - 渋谷駅間を建設・運営)との相互乗り入れによる直通運転の契約を結んでいた。京浜地下鉄道と結ぶことで約束を反故にしようとした東京地下鉄道に対し、東京高速鉄道側は猛反発し、東京地下鉄道の筆頭株主となっていた京浜電気鉄道の株式を買い集めた。 1939年に京浜電気鉄道・湘南電気鉄道の代表者であった望月軍四郎が持株を東京高速鉄道に譲渡したことで、京浜電気鉄道・湘南電気鉄道は東京高速鉄道の傘下に入った。実際に京浜電気鉄道・湘南電気鉄道の経営に乗り出したのは東京高速鉄道の代表者であった五島慶太であった。このため、五島の本拠地ともいえる東京横浜電鉄が京浜電気鉄道・湘南電気鉄道の実質的な親会社となった。
※この「地下鉄乗り入れ計画の頓挫と五島慶太による買収」の解説は、「湘南電気鉄道」の解説の一部です。
「地下鉄乗り入れ計画の頓挫と五島慶太による買収」を含む「湘南電気鉄道」の記事については、「湘南電気鉄道」の概要を参照ください。
- 地下鉄乗り入れ計画の頓挫と五島慶太による買収のページへのリンク