在特会・主権会の決裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:31 UTC 版)
上記の主要メンバーの検挙や対立の影響もあって、チーム関西の主力を構成する在特会と主権会の対立も露わになってきた。 主権会会長の西村修平代表は、チーム関西の過激な活動が刑事事件化することで「行動する保守」運動全体がダメージを受けるのではないかとの懸念を抱くようになった。そして、大阪水曜デモ妨害事件でチーム関西のメンバーが逮捕されると、西村修平はその事後処理を行おうとせず、チーム関西を切り捨てようとした。しかし、在特会会長の桜井誠はデモが主権会主催であったことを理由に、西村に事後処理を行うように説得したところ、両者は口論となった。そして、これを直接の契機として在特会と主権会は事実上袂を分かった、と桜井は述べている。 桜井は西村と袂を分かった主たる理由として、2つの理由を挙げている。一つは、京都朝鮮学校公園占用抗議事件の事後処理において、西村が検挙されたチーム関西のメンバーを切り捨てようとする態度をとったこと、またそのなかで在特会と主権会の路線の違いが露わになったことである。もうひとつは、西村が組織暴力団の幹部と関係を持っていたことであり、桜井は関西の件よりもより悪質だと主張している。これによると、桜井は関西での関係が悪化する前に西村にある人物に紹介されたが、不審に思った桜井が名刺の名を友人に調べさせたところ、その人物は組織暴力団の実働部隊トップだったのだという。 一方、西村は徳島事件の直後には同事件に関与した荒巻ら4名を主権会から除名するとともに、チーム関西の活動には今後一切関知しない旨の声明を公式サイト上に掲載した。これにより、チーム関西における在特会と主権会の共闘関係には終止符が打たれた。
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