土井正三郎とは? わかりやすく解説

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土井正三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 00:40 UTC 版)

土井 正三郎(どい しょうざぶろう[1][2]1907年明治40年〉12月23日[1] - 1992年平成4年〉12月18日)は、日本経営者三井信託銀行社長を務めた[2]

経歴

鳥取県米子市出身[3]。土井親男の三男[1]。生家は米子東倉吉町鉄砲火薬の土井親男商店[4]

1929年青山学院高等部商科を卒業し[2]、同年に三井信託銀行に入行[3]1958年5月に取締役に就任し、1967年5月に副社長を経て、1968年11月には社長に就任[3]1971年5月に会長に就任し、1976年6月には相談役に就任[3]

1973年9月に藍綬褒章を受章し、1979年4月に勲三等旭日中綬章を受章[3]

1992年12月18日急性心筋梗塞のために死去[5]。84歳没。

人物

長年テニスで身体をきたえた[2]

脚注

  1. ^ a b c 『人事興信録 第16版 下』と5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月2日閲覧。
  2. ^ a b c d 『東邦経済 38(12)』40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年8月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e 人事興信所 1991, と20頁.
  4. ^ 『国民日用便覧 明治43年刊』に73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月2日閲覧。
  5. ^ 1992年 12月19日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献

  • 多納佐三郎 編『国民日用便覧 明治43年刊』報光社、1910年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第16版 下』人事興信所、1951年。
  • 東邦経済社 編『東邦経済 38(12)』東邦経済社、1968年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 下』人事興信所、1991年。 

外部リンク

先代
杉谷武雄
三井信託銀行社長
1968年 - 1971年
次代
生野専吉



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