国連などでの慰安婦の扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:36 UTC 版)
「日本の慰安婦」の記事における「国連などでの慰安婦の扱い」の解説
詳細は「日本の慰安婦問題#国連などでの慰安婦の扱い」を参照 1992年2月25日、NGO 国際教育開発(IED)代表で弁護士の戸塚悦朗が国連人権委員会で日本軍慰安婦問題を取り扱うように要請し、これが国連での初めての慰安婦問題提起であった。戸塚自身も、当時慰安婦問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、慰安婦を「日本帝国主義の性奴隷(sex slaves)と規定した」と自分が「性奴隷」という言葉を発案したとしている。当初、国連では「性奴隷」という呼称は受入れられなかったが、戸塚は人権委員会の下位にある差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)や、人権小委員会で活動する現代奴隷制作業部会に働きかけた。日本弁護士連合会(日弁連)会長(当時)で「慰安婦問題の立法解決を求める会」(1996年12月設立) の土屋公献も、1992年から日弁連が国連において慰安婦補償を要求するなかで慰安婦を「性的奴隷(Sex SlavesまたはSexual Slavery)」 として扱うように働きかけ、その結果、1993年6月のウィーンの世界人権会議において「性的奴隷制」が初めて「国連の用語」として採用されたとしている。日弁連会長鬼追明夫は「軍事的性的奴隷」とも表現している。
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