回廊状遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:13 UTC 版)
来住廃寺跡の西側に位置する方一町(一辺が約110メートルの方形)の遺構で、敷地の一部が寺跡と重なっている。この場所からは内外2列の柱列跡からなる回廊状遺構が検出されたため、この方一町の遺構自体を「回廊状遺構」と通称している。この2列の柱列跡は、調査の初期段階では来住廃寺跡の回廊と考えられていたが、調査の進展により、寺に属したものではなく、寺の創建以前の官衙遺構であることがわかった。 この遺構は、方一町の区画の四周を区画溝で区切り、その内側に回廊状の区画施設がある。内部の北寄り(北回廊から10メートル離れた場所)に正殿とみられる建物跡がある。また、南回廊には桁行3間・梁間2間の南門が開かれていた。 回廊状の区画施設は、前述のように内外2列の柱列跡が残っているが、外側の柱列にくらべると、内側の柱列は柱穴の径・深さともに小さい。すなわち、外側の柱列は主柱、内側の柱列は脇柱と考えられる。したがって、ここに建っていたのは古代寺院の回廊のようなものではなく、屋根が架かっていたとしても片流れ屋根の簡易なものだったと推定される。
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