四川内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 19:26 UTC 版)
1920年(民国9年)、熊克武が滇軍(雲南軍)を四川から駆逐すると、鄧錫侯は川軍第1軍第3師師長(第1軍軍長は熊)に任命された。1922年(民国11年)、熊と第2軍軍長劉湘の戦い(一、二軍之戦)でも、鄧は熊を支持して劉を撃破した。 しかし、新たに川軍総司令となった第3軍軍長劉成勲が他の川軍指揮官から権限剥奪を図ると、鄧錫侯や他の師長級の川軍指揮官は反発する。1923年(民国12年)2月、鄧らは熊克武・劉成勲との戦いを開始した。鄧らは同じ川軍指揮官の楊森と手を結び、さらに北京政府の支援を得て優位となる。鄧は4月に成都を占領し、5月、劉成勲を総司令からの辞職に追い込んだ。 1924年(民国13年)5月、北京政府により、楊森が四川督理、鄧錫侯が四川省長に任命された。翌年2月、鄧は中央陸軍第30師師長に転じ、重慶に駐屯した。しかし楊が次第に強大化して、四川統一の軍事行動を起こす。鄧はこれに反発し、劉湘、袁祖銘(貴州軍)らと組んで楊を撃破した。その後、今度は袁を四川から駆逐するために、楊と再び連合し、袁を撃破した。
※この「四川内戦」の解説は、「トウ錫侯」の解説の一部です。
「四川内戦」を含む「トウ錫侯」の記事については、「トウ錫侯」の概要を参照ください。
- 四川内戦のページへのリンク