嗚呼玉杯に花うけてとは? わかりやすく解説

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ああぎょくはいにはなうけて【あゝ玉杯に花うけて】

読み方:ああぎょくはいにはなうけて

佐藤紅緑児童文学作品。「少年倶楽部」誌に昭和2年(1927)5月号から翌昭和3年(1928)4月号まで連載理想向かって努力する少年たち友情描いて人気博した単行本昭和3年(1928)刊。題名は、第一高等学校寮歌歌詞から。


嗚呼玉杯

(嗚呼玉杯に花うけて から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/07 03:26 UTC 版)

嗚呼玉杯 (ああぎょくはい) は、旧制第一高等学校の代表的な寮歌の一つ。正式名称は「第十二回紀念祭東寮寮歌[1]。「嗚呼玉杯」や「嗚呼玉杯に花うけて」は通称で、歌い出しの歌詞によっている。

日本三大寮歌の一つとされ、寮歌の中でも知名度が高い作品である。

基本データ

作者を上記の者以外とする誤記が散見されるが、これは大正期までにさかのぼる。歌詞の出版権はコロムビアソングス株式会社が保有し、JASRAC信託楽曲であった。作詞者である矢野の死後50年を経過した2011年より、日本の著作権法において著作権保護期間を満了している。

矢野によれば、当初は和文調の歌詞であったが先に曲ができてしまい、楠等の意向により漢文調の歌詞に改めたという。

内容

自治の理想と救国の使命に燃えるエリートの心意気を歌っている。

昨今の寮歌祭の傾向として、「十余年」 を原歌詞の通り 「十二年」 として歌うことが多い。

なお歌詞中「向ヶ丘にそそり立つ 五寮の健児意気高し」とあるのは、当時一高の校地が向ヶ丘すなわち本郷弥生町(現在は東大農学部キャンパス)の丘陵に所在していたことを反映したものであり、その後東大農学部との校地交換で一高は駒場校地に移転、学制改革にともなう廃校まで存続した。

影響(替え歌など)

旧制第一高等学校の中のみならず、女学生や演歌師らによって世間一般にも広められたため、メロディーを利用した数多くの替え歌が存在する。多くは短調化した曲が使われた。

学校歌

旧制学校 (特に旧制中学校) をルーツとする学校に多くの例がある。たとえば、茨城県立下妻第一高等学校(旧制下妻中学校)の校歌のメロディーは嗚呼玉杯と全く同じである。

その他の歌

  • 『仰げば巍々ぎぎたる』 (陸軍士官学校。明治35年。作詞者不詳)
  • 嗚呼革命は近づけり』 (革命歌。明治41年。築比地仲助 作詞)
  • 『アジアにつゞく北欧の』(ロシア革命の歌。大正8年)
  • 『ああ解放の旗高く』 (水平歌 (解放歌)。大正11年。柴田啓蔵 作詞) - 全国水平社の歌
  • 『人類文化の実権を』(横浜市電共和会々歌。大正13年)
  • 『戦いここに一と年の』(組合同盟一周年記念歌。大正15年)
  • 『赤旗の下に我れ立ちて』(鉱夫の歌。大正末)
  • 『きけイエス君の』 (救世軍歌 319番。山室軍平 作詞) - 長調

文学

現在

脚注

  1. ^ より正確には「第十二回紀念祭寮歌」。ただし、当時は 5棟あった寮がそれぞれ寮歌を選定していたため、「第十二回紀念祭寮歌」 も 6曲ある(一曲は東大寄贈歌)。区別のために、頁の末尾に 「(三十五年東寮)」 と附記されている。大正8年 (1919年) までの寮歌集での歌名は、「東寮々歌(三十五年)」 であった。参考:[1]

関連項目

外部リンク



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