唯心と唯識とは? わかりやすく解説

唯心と唯識

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 15:52 UTC 版)

唯識」の記事における「唯心と唯識」の解説

華厳経」では「唯心」という。また「唯識論」では「唯識」という言い方をする。その違いは何であろうか。 『華厳経』では、「集起の義」について唯心という。『華厳経』は、覚った仏の側から述べているので、すべての存在現象が、そのままみずからの心のうち取り込まれて、全世界全宇宙が心の中にあると言う。そこで、すべての縁起集めているから「集起の義」について唯心と言う唯識論では、「了別の義」について唯識という。唯識では凡夫(われわれ普通の人間)の側から述べているので、人間のものの考え方について見ていこうとしている。すべての存在現象人間認識することによって、みずからが認識推論することのできる存在現象となりえているから、みずからが了承し分別している。そこで「了別の義」について唯識という。心ではなく、識としているのは、それぞれの了別する働きの体について「識」としているのであって器官ではない。器官存在現象しているものである。 しかし、唯心といっても、唯識と言ってもその本質は一つである。詳しく分けて論ずれば、「唯心」の語は、修行する段階因位)にも悟ってになった段階果位)にも通じるが、「唯識」と称するときには人間どのように認識推論するかによるので、悟りを開く前の修行中の段階因位)のみに通用する。「唯」とは簡別の意味で、識以外に法(存在)がないことを簡別して「唯」という。「識」とは了別の意味である。了別の心に略して3種初能変、第二能変第三能変)、広義には8種(八識)ある。これをまとめて「識」といっている。

※この「唯心と唯識」の解説は、「唯識」の解説の一部です。
「唯心と唯識」を含む「唯識」の記事については、「唯識」の概要を参照ください。

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